紹興城壁


浙江省の中規模都市・紹興
紹興酒で知られるこの街は、夏王朝時代の禹が治水に訪れた時から歴史が始まる。
紀元前490年には“臥薪嘗胆”の故事で知られる越王勾践が都を置き、始皇帝の統一後は会稽郡が置かれた。
隋唐期に越州が置かれ、さらに南宋紹興元年(1131年)時の皇帝高宗が金の圧迫を逃れ一時都したため紹興府と改称された。
越都以来紹興の城壁は拡大され続け、城門11を開き、内6門は水城門という“水郷都市”であったが、1922年に道路建設のため西郭門から昌安門までの1836mが撤去されてしまう。
日中戦争最中の1938年2月、抗戦の必要上22万弱の兵力を投入して11720mの全城壁が撤去され、環状路が造成された。

紹興へは紹興酒を飲みに3度行っているが、ほんの一部残っているという城壁残滓は撮れずじまい。

上:1930年代の水城門。
下:1931年発行の「中国新輿図」の紹興。最初に撤去された西郭門〜昌安門は地図の上部にあたる。