パリ近郊の中世都市・サンリス市壁





パリ北駅からクルイユ行きの列車で約30分。
競馬で知られるシャンティイの街からさらにバスで20分の所に、中世のまま取り残された町が残る。
サンリス(Senlis)、というこの町の起源はガリア人(ケルト人)の村落にさかのぼるが、本格的な都市建設はローマによるガリア征服(B.C.58〜51)の後のことである。
ローマ属州ガリアのアウグストマグス(Augustomagus)、またはシヴィタス・シルヴァネクトゥム(Civitas Silvanectium)と呼ばれた時代、フランク人の侵攻に対抗すべく、サンリス最初の市壁が築かれた。
今見られる高さ7mの内壁はこの時代(3世紀)の物で、全長840mのうち約半分が現存する。城壁には当初26の塔が設けられていた。
城壁は突貫作業で造られたと考えられ、市内の公共建築からの転用材が多く見られる。
この3世紀のローマ市壁は12世紀まで使い続けられ、その間センリスはメロビング朝・カロリング朝を通じてフランスの有力貴族たちの憩う町となっていった。
987年にはカロリング朝ルイ5世死去後の王位継承紛争において、本市で聖俗諸侯会議がもたれ、パリ伯ユーグ・カペーの新王推挙、すなわちカペー朝誕生という歴史的事件も起きている。

12世紀から13世紀にかけ、ノルマン人の侵攻に備え、ローマ市壁の外側に第二の市壁が築かれる。
現在サンリスと言えば、この第二の市壁内部を指す。

2008年7月訪問。


1:サンリスの航空写真。3世紀の第一市壁と12世紀の第二市壁が良くわかる。
2:ローマ時代の市壁。
3:fausse porte(偽の門)と呼ばれる市門の名残。
4:城壁には塔が残る。塗り込められたアーチ窓はカロリング朝時代の物。
5:12世紀の第二市壁。