ラサファ―砂に埋もれる聖都―








シリア中央部、ユーフラテス川の西26kmの地点に、ラサファ(Rasafa,Resafa)という都市遺跡がある。
周囲は見渡す限りの砂漠で、風の吹き渡る音しか聞こえない寂しい場所だが、この街の歴史は古い。

アッシリア時代

史書に初めて登場するのは紀元前9世紀、アッシリア帝国領としてである。
“Rasappa(燃えている石炭)”と呼ばれたこの街は、帝国のこの地方における統治と商業の中心地だった。

旧約聖書にも次のような記述があり、レツェフ(Rezeph)こそがこの街を指すと考えられている。

わたしの先祖たちはゴザン、ハラン、レツェフおよびテラサルにいたエデンの人々を打ち滅ぼしたが、これらの諸国の神々は彼らを救いえたであろうか。
                   (列王記下 19:12およびイザヤ書37:12)

この記述はアッシリアセンナケリブ(Sennacherib,705-618 BC)からユダ王国の王ヒゼキア(715-687 BC)への降伏勧告の手紙の一部で、センナケリブは「レツェフなど諸都市の神が街を守れなかったように、お前の神はエルサレムを守ることは出来ない」と脅している。

その後タドモル(パルミラ)王国の重要な都市ともなり、アレッポ、デュラ・エウロポス、パルミラを結ぶキャラバン通商路の要衝として大いに繁栄した。

ローマ時代―聖地セルギオポリス誕生―

272年にパルミラがローマに滅ぼされると、街はローマの手に落ち、ディオクレティアヌス帝(284-305)はササン朝の脅威に備え、この街を要塞化した。

この街が再び大繁栄するのは、4世紀になって聖セルギウス信仰の一大巡礼地となってからである。

セルギウスとバッカスはローマ軍士官だったが、キリスト教徒であったのでユピテル神への信仰を拒絶した。キリスト教を弾圧をしていたディオクレティアヌス帝は激怒し、彼らをシリアへと送り、処罰させることとした。彼らは女性物ドレスを着せられ大通りを歩かされるなど様々な辱めを受けさせられ、笞刑によりバッカスは死んでしまう。セルギウスは板を足に釘打たれた上で徒歩ラサファまで連行され、最後には首を切られ処刑された。305年のことである。

380年にローマがキリスト教を国教化した後、ラサファには彼ら殉教者を祀る教会が造られ、セルギウスとバッカスは東ローマの守護聖人となり、多くの巡礼者を集めるようになった。

ローマ皇帝アナスタシウス(491-518)は長大な市壁で街を囲み、52もの塔を建て、守護聖人にちなみ街をセルギオポリス(SELGIOPOLIS)と改称した。一時、帝は自らの名にちなみ、この街をアナスタシオポリスと改名したが、すぐにセルギオポリスに戻された。

527年に即位したユスティニアヌス1世はササン朝ペルシアに対抗すべく市壁の更なる強化を図る。それまで石で出来ていた市壁を最新の軍事技術を取り入れ、日干し煉瓦で築き直したのだ。
ペルシャの侵攻に対しセルギオポリスは抵抗し続けたが、616年、ホスロー2世によりついに陥落した。ビザンツ帝国は重要な拠点を失い、その後ヘラクレイオス帝(610-641)が一時奪還するものの、街はほどなく勃興したイスラム帝国に組み込まれることになる。

イスラム帝国―カリフに愛された街―

イスラム帝国の時代。ウマイヤ朝第10代カリフ、ヒシャーム・イブン・アブドアルマリク(724-743)はこの街を愛し、宮殿を建て、聖セルギウス教会の隣にモスクを建てた。彼の統治時代に街は壊滅的な地震に襲われるが、代々のカリフにより再建され、ウマイヤ朝通じて重要な保養地であり続けた。ヒシャームは街を“Rasafet Hisham(ヒシャームのラサファ)”と改称し、ここに埋葬されたという。
750年にアッバース朝が建つとウマイヤ朝王族はほぼ皆殺しにされ、ラサファの宮殿、モスクも破壊され、ヒシャームの墓は暴かれ遺体はむち打たれた上焼却された。

最後の時―モンゴル・マムルーク抗争の果て―

アッバース朝末期、ラサファはモンゴルの侵攻を受ける。西征総司令フレグの侵攻を丸一年留めたラサファだったが、最終的には陥落した。
その後13世紀後期、マムルーク朝第五代スルタン・バイバルスはモンゴル軍を追い、ラサファを占拠。街は完全に破壊され、住民は聖セルギウスの遺物とともにハマ(Hama)への避難を強いられた。
以降、文献記録に街が登場することはない。

現在格別の保存措置も発掘も行われている様子もなく、崩れかけた市壁の内部は教会、モスクも砂に埋もれたままとなっている。



2007年GW訪問。


1:google mapによる上空からの写真。市壁は長辺約600m、短辺400m。
2:外側から見た市壁。馬面がほぼ等間隔で設けられている。
3:城壁の高さは7m程度か。
4:崩れかけているが、半周程度城壁上を歩ける。
5:城壁内部。大部分が砂に埋もれている。
6:最も装飾の華麗な北門。
7:聖セルギウス教会跡。