マカオ市壁



マカオ(澳門)の市壁は、他の中国都市と同じく完全に撤去され、セントポール教会跡の脇にわずかに残るのみである。しかしその建築と撤去の経緯は他と事情が異なる。

明の輶慶3年(1569)よりポルトガル人入植者によって築かれたため、一般的中国城壁と形状も建築技法も異なり、泥と砂と藁に岩、更に蛎殻を混ぜ合わせて城壁の材料としている。
1604年、明当局により“勝手に城壁を造るべからず”というお咎めを受け、一旦取り壊される。そこでポルトガル人は役人に賄賂を贈り、1617年から再び築城を開始。1620年、25年にも明当局は軍を派遣し城壁を破壊した。ポルトガル人はそれにも関わらず城壁を作り続けた。
1847年のアヘン戦争後、外国商人の進出と、主に広東からの中国商人の流入により手狭になったマカオでは、城壁が本格的に撤去され始める。
現在残るのは、その破壊を免れた最後の一部分である。

城壁高5.6m、厚さ1.06m。残存長は18.5m。


2007年2月訪問。